市営上山競馬は最盛期の1990年代初頭には、年間300億円近い売り上げを記録していた。
上山市ではその豊富な資金をつぎ込み、公共の建造物などに贅を凝らす余裕があった。
しかし、10年後の2000年代はじめにはそのわずか1/3〜1/5程度にまで売り上げは落ち込み
一転して上山市のお荷物となっていった。
賞金のカット、出走手当の削減などを実施して何とか持ちこたえようともしていたが、関係者が
厩務員、調教師、騎手、馬主など総計1000名を越える大所帯でもあり、絶対的な収入が改善
しない中での小改革では焼け石に水の状態であった。
山形市との合併を念頭に置いた上山市には、今や赤字発生施設となった競馬場を早急に処理する
必要性が生じた。2003年はじめには、単年赤字が3億円を超えた時点で「シーズン途中でも廃止」
というペナルティにも似た関門を設け、廃止への線路を敷設した。
案に違わず2003年度も売り上げは低迷し、ついに11月11日、上山競馬場は競馬開催最期の日を迎えることとなった。
2003年 11月11日 最期の日
最終レースを待つ
泥の中を馬たちは駆け抜け 最期のレースは終わった
トラックに背を向け帰る人もいるが多くは動かない
じっと何かを待つ