旧漆山駅舎

 

 

 

 

旧漆山駅は平成21年に現在の駅舎に置き換わるまで、途中改築はあったものの基本的には開業当時の

明治35年の建物であった。文化財として歴史的建造物にも匹敵する時間を経たものであったが交通機関という

性質上更新を余儀なくされ、百年を優に超える木造平屋の駅舎は姿を消した。

 

     

 

 

 

 

壁面などは何度か張り替えられ、塗り直しも受けている。当初は木壁であったはずだが、この時にはトタン張りに

なっていた。電装品は比較的古いものが残っており白熱電球の笠や接続碍子の形に歴史が感じられた。

昭和20年に改修を受けた際の部品もあったのであろう。

 

   

 

 

 

 

 

      

 

昭和の終わりに国鉄漆山駅からJR漆山駅に名称変更があり看板も架け替えられた。

 

 

 

   

 

現在はそのイメージはないが、かつて漆山は紅花の産地として知られていた。戦後は種子が失われたこともあり

紅花生産と鉄道を通しての関連品の搬出は衰退し、漆山駅は石油、セメント等の物資基地としての貨物駅に転身した。

専用引込線を持つ昭和シェル石油や住友セメントが付近にあり、専用車も運行されていたが今はない。

 

 

   

 

    

 

 

 

漆山タクシーにとっては重要な起点であったと思うが、乗降客は大半が学生であり、タクシー利用客はそう多くはないと思われる。

 

 

 

 

木組みの基本は明治のものであった可能性が高い。塗り直しはされていたものの傷みは大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

このころは有人駅であったが、2005年ころには合理化のために無人駅となり窓口も閉鎖されてしまった。

 

 

   

 

木造ベンチは壁面に作り付けになっていた。

 

 

この建物の歴史を示す財産管理標。明治35年のものがそのまま残っていたことが表されている。

これがいかに希少な建造物であったか気づく人は少なかったが、同年代に旧師範学校が建てられたといえばわかるだろうか。

 

   

 

 

 

     

 

 

 

戦時中は神町と並んで飛行場の町として練習機が飛び交い、爆撃も受ける土地であったが

現在、漆山は刑務所のある町、というくらいしか印象が無い静かなところである。

駅舎くらいは、ということであろうか、現在は一転して斬新なデザインの駅舎が建てられている。

 

   

 

 

 

 

旧漆山駅舎  明治35年~平成21年(1902-2009) 107年間

 

 

 

 

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