山形ドレスメーカー専門学校
良妻賢母がまだ世間の中で一定の評価を得ていたころ、女子が裁縫技術を身に着けるということは
一般に奨励されており、また、そうでなければ不評を買うことさえあった。
小白川→東原→七日町 に至る通りにあった 菓子屋コウシロウの二軒ほど隣である
壁面には山形ドレスメーカー女学院と表記されている
看板には山形ドレスメーカー専門学校と書いてある
「既製服」という言葉がまだ死語になっていなかったころ、家庭内で母親が子供の服を作成するということは
半ば当然のことになっていた。難しいものは一部の高い技術を持つ人しか作れない場合もあったが
エプロンや浴衣くらいは大抵自作できる母親が多かったのである。事実、ミシンは家庭常備品であり、
多くのメーカーがしのぎを削っていた。手縫いでは難しいとされていたものも、ミシンがあればできるという人も
少なからずあったのである。今は学校の家庭科でミシンに触れたのが最後で、それ以降は全く裁縫に関わりを
持たない女子のほうが一般的になった。スマートフォン以外の器械は手にしなくなってしまったのであろう。
衣料は使い捨てとなり、値段もぐんと下がっている。デザインやプリント技術も進み、流行も早まって
作ったものを長く着る、などという風潮はほとんど見られなくなってしまった。それまであった裁縫系の
専門学校もそれに伴い激減している。山形ドレスメーカー専門学校はだいぶ前に休校してしまい
建物があった場所もドラッグストアツルハに変わってしまった。また、北山形駅前の小便小僧の
衣装替えで有名な山形女子専門学校もまた、平成26年度末での閉校を決定した。
専称寺口バス停前
山形ドレスメーカー専門学校 昭和21年~平成22年