派手な建物が建ったあと、その前にはその場所に何があったのか印象が薄くなることがある。
これは相対的な問題で、以前店舗であったところが一般住宅地になったような場合は
「昔ここには○○があった。」ということを人々は長く憶えているものであるが、逆にあとから
建ったもののインパクトが強い場合、以前の建物は急速に忘れ去られて行く。
マックスバリュ青田店が日野自動車の場所に建つかも知れないという話になったとき、
本当だろうかと思ったものだ。この場所の1km東には当時、同じマックスバリュの
芸工大前店があり、この地の1km西にはマックスバリュの本家とも言えるジャスコ南店
があったからである。その上、北500mには元気市場、南500mには生協桜田店と
立地として本当に好条件かは疑問であった。しかし、噂が聞こえて間もなく、そこにあった
日野自動車の建物は速やかに撤去されることになった。
今は112号線となっている旧13号線の市内通過部分は産業道路として企画され、その名の通り特に
自動車会社の店舗がひしめく通りになっていた。荒楯のあたりにはトヨタ、トヨペット、日産サニー販売、
日産チェリー販売、ちょっとはずれてカローラ販売、元木・鳥居ヶ丘に日産プリンス販売、同中古車販売、
東洋工業(マツダ)、青田に日野自動車、桜田にいすゞ、そして飯田にトヨタオートとトヨペット、ダイハツが軒を揃えていた。
青田にあった日野の営業所は販売だけでなく修理工場を背後に備えていた。
1960年代を境に乗用車の生産をやめたため、他の自動車販売店とは異なり
一般の客がこの会社を訪問することはあまりなかっただろう。
脇の路地からはいると奥に長く続く工場の壁があった。
長距離重いものを運んだトラックがリフレッシュする場であったのだ。
年季の入った敷地のコンクリート
工場建物
昔は自動車会社の従業員には自社の車を購入する義務のようなものがあり、
社員駐車場には同じメーカーの車が並んでいるのが通例であった。
乗用車の生産からトラックに軸足を移したあとも、日野の社員駐車場には
しばらくの間、律儀にも多くの日野コンテッサが並んでいた。
トヨタや日産の社員ならば自社の中からでも多様な選択ができるのに
選択の余地のない日野の社員は気の毒だと思った憶えがある。
日野コンテッサ
マックスバリュになってからは毎日、24時間ひっきりなしに車が出入りし賑やかな一角になった。
工場の油の匂いも日々、記憶から薄れつつある。
工場裏通り
日野自動車青田営業所
2005年撤去