向かいは でん六豆工場
清住町の山交バス営業所はかつて山形市内に複数あったバス営業所の最後の一つである。
分社化によりユトリアグループ山交バスになる以前、山形交通のバス部門だった頃には他にも
本社、千歳公園、末広町、大の目などの営業所が市内に点在しており、路線も毛細血管のように
各地を網羅して今よりはるかに便利な体制が整っていた。運賃管理や乗客の世話、踏切通過の
安全確認などをする車掌が同乗していた昭和40年代中盤まではバスが道路経由の交通手段の主役であった。
営業所前バス停
しかし、それ以降の自家用車の急速な普及に伴い、バス輸送の需要は大幅に減少。
バスはワンマン化などの経費削減策を施すも客離れはとどまらず、路線の削減も相次いだ。
観光バスとして使われていた車体も路線バスとして再利用されるなど、極力ムダを廃して
再建に努力する姿が見られたが、路線が削られ不便になればさらに乗客は減り再度路線の削減
による合理化がおこなわれるという悪循環が続いた。バスは年寄りと子どもの交通機関という
イメージが定着し、一度乗用車を手に入れた者がバスを利用する例は少なかった。
発券所まで備えていた千歳公園営業所が待合所に格下げになり、本社さえも富士ゼロックスと
アサヒビール園(現:ベガスベガス)の敷地に変貌。末広町営業所はコンビニになったあと
マンションに、そして大の目営業所の跡はそのままそっくりヤマダ電機になった。
各年代のカラーリングバスが並ぶ
最後に残った清住営業所の建物が壊され始めたとき、バスの拠点がついに大町車庫と山交ビルに
移行されるのかと思ったものだが、道路拡幅による更新であり、営業所はほぼ同じ場所に残った。
やがて地球温暖化対策が叫ばれるようになり、加えて原油価格も上がった。乗用車の選択基準が
燃費重視になりエコロジーなる概念が広がりを見せてきた。公共交通機関の利用は環境に
いいとの意識も徐々に目覚めつつあるが、それがバスの復活につながるかどうかは全く未知数である。
清住町営業所 旧景