多くの人には「梅月堂角」といった方がわかりやすいかも知れない。
それほど有名だった梅月堂が、いかに長い間山形の人々に親しまれていたか
消えてしまった今となって、古写真が物語ってくれる。
昭和初期 市役所方面から見た四辻。手前の尖り屋根は警察署。
左のギリシャ調の建物が両羽銀行本店(現 山形銀行:大正12年竣功)。
ほぼ正反対側から見た景色。警察署の正面の様子が分かる。
西の通りから東を望む。車の型が昭和初期を表している。
夜間の様子。現 ナナビーンズに当たる場所には山形交通の待合所が屋根上に
ネオンをかざして建っていた。この建物はその後、戦時中に強制疎開で取り壊された。
手前が梅月堂(昭和初期竣功)。夜間の営業もしていた様子である。
四辻の建物の幾つかは建て替えられている。車より歩行者が多い。
梅月堂前から東を望む。信号機はまだ見あたらない。
梅月堂は昭和初期に建てられ、菓子屋、喫茶店の他二階はレストラン、三階はパーティホール
として営業していた。戦後は米軍に接収されたが返還後はまた菓子屋として親しまれた。
現在はドトールコーヒーとなったが、建物は創業時同様、喫茶店として使われている。