小白川町にあった旧山形第一中学校と東沢中学校が統合し、新第一中学校になった1979年、
建築中の一中前のスペースで「山新世界大動物園」が開かれた。
世界大動物園 入り口ゲート
当時は松波、東山形地区には新県庁が建ったものの、周辺は依然田園地帯であり
住宅地への転換が盛んだった。その途中の大規模な未整備地を利用し、
山形新聞が企画したプロジェクトが世界大動物園だった。
ゾウ曲芸
オランウータン竹馬乗り
火の輪くぐり 綱渡り
1967年頃に動物園を備えた山形ハワイドリームランドが飯田に建設されたが、
通年の営業では採算が合わず数年で閉園している。河北町谷地にも
小規模な動物園はあったものの、山形市民の大半は動物園見学をするには
仙台の八木山まで行かなければならなかった。
山形新聞の旗が並ぶ
未整備の砂利の上に檻を並べただけの展示であった。
それでも動物園の方から山形に来てくれたということで
観客はひっきりなしに訪れた。
県警を背景にキリンが立つ
移動動物園は現在ではあまり見られない。動物にかかるストレスの高さと
開催遊休地の確保の難しさ、加えて採算の見込めない経済状態が背景にある。
30年ほど前までは山形新聞には勢いがあり、県の行政さえ動かして
企画を実現させていた。情報一極支配が可能だった時代でもあり、
少々難がある企画でも反対を抑え、強引に実現させていた。
動物の説明標はマジックによる手書きであった
後ろの校舎は完成間近の市立一中
この時点では正式名称が決まっていなかったのか、名称表示は「山形市立第 □ 中学校」となっている。
山新世界大動物園 1979年