シバタモデル取り壊し
2006年2月、長年見慣れた建物に緑色の養生幕が掛かっていた。
一際目立つ緑色
角のシバタモデルだった
角地のシンボル的な存在が取り壊される様は、やはり角地の山形駅前
藤田菓子店が消えたときと酷似した状況であった。
窓は既に取り外されていた
壁面の凝ったデザイン
山形の基準では昭和初期(昭和5年といわれている)くらいの建物では保護の対象にもならないので
あろう。数少ないながらも残っているこの時期の建物は、道路拡張に伴い次々に姿を消している。
しかし、このような処理の仕方をしていけば通りに面した建物には全く歴史はなくなり、味気ない
街になり果てるのは目に見えている。国宝や重要文化財として今に残る江戸やそれ以前の建物でも、
歴史の浅い時代に処分されていたのならその姿は現在目にすることはできなかったのである。
裏の建物は一足先に取り壊された
ほぼ消えていた「シバタモデル」の看板
「SMS」の表記は店のシンボルマークだったのだろう
裏の建物の痕が残っていた
ノスタルジーだけで都市計画は語れないのは承知でも、あまりに無惨な取り壊しが
続く山形の都市計画が妥当であるとは思えない。市の事業、県の事業ともに街の
歴史の捉え方のピントがずれている気がする。確かに市内に旧町名の石碑は建った。
しかし、それ以前に歴史ある町名を一律事務的に消し去ってしまうことをしなければ
必要のなかった措置である。昔からある小河川を暗渠化して地下を通し、その上に人工
河川を造るなどの愚行もあちこちで行われている。実生活から本物の歴史を消し去っても
その代替物を準備しさえすれば、それが「歴史への配慮」だなどと思っているのではないか。
確かに市内各地に旧町名碑は建った
きれいに整備された新しい街並みを「これで山形もだいぶ都会になった」
などと思い込む感覚そのものが充分に田舎臭い。
参考:登録文化財制度
シバタモデル 昭和5年〜平成18年(1930−2006)