山形新聞放送会館

 

 

 

山形新聞の本社は、元々七日町にあったが昭和30年のテレビ放送開始に伴って新聞・放送を

統合する形で旅篭町に移転した。その際に建てられたのが赤煉瓦色の山形新聞放送会館である。

 

 

ひとつの建物に見えるよう壁面は処理されていたが、新聞、放送はそれぞれ独立した建物に

なっているとのことであった。この建物は、当時の山形県庁に面する位置に立っていたほか、

社長がマスコミを一手に握っていたことにより県政に大いに介入し、県知事さえをも動かしていた

といわれていたこともあって「真の県庁」「裏の県庁」などと揶揄されることもあった。

 

屋上に放送用アンテナが見える

 

 

   

正面玄関

 

この正面玄関から、多くの芸能人、政治家など出入りした。必ずしも放送に出演する

場合だけではなかったようで、いろいろな意味で県を動かす舞台になっていたと伝えられている。

 

 

 

  

看板の表・裏にそれぞれ 放送と新聞の文字

 

県政との過度な密着を顕わすエピソードとして、県の予算で購入したはずの高価な美術作品が

いくつも山新会館内に固定展示されていたということがあった。通常なら処分者を伴うスキャンダルであるが

当時の山形県民にとっては山形新聞が県庁を動かしているなどというのは周知のことであって

あらためて騒ぐ人もそれほど無かった。感覚が麻痺していたのであろう。

 

山新会館の北側

 

 

  

周辺の様子

 

 

    

周辺には古い民家も多かった

 

その後、山形新聞の社長の代替わりを経てようやく県内にも複数のマスコミが誕生することと

なり、情報の独占は難しくなった。それとともに山形新聞の政治コントロールは薄らいでいく。

 

 

 

  

何故かひとつだけ植物の植えられている窓がある 社長室か?

 

 

1876年に創立された新聞社ということになっており、100周年の1976年に増築。

 

 

  

 

 

130周年とされる2006年には新ビルに移転ということで、2003年からは背後にメディアタワーと名付けられた

薄緑色のビルが建設された。老朽化した旧社屋から全ての機能を引き継ぐことになった。

 

 

  

 

  

 

   

 

 

煉瓦色の山形新聞放送会館は新社屋が完成した2006年、46年の使命を終え解体された。

跡地は道路拡張用地に利用されることとなった。

 

 

山形新聞放送会館  1960−2006

 

 

 

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