高湯(蔵王温泉)

 

 

今は山形市蔵王温泉といわれている温泉地は古くは高湯と呼ばれ、保養地であり続けてきた。

不便な地でありながらも交通の未発達の時代に一大温泉街が形成され、建物の更新はありながら

温泉街の構成そのものには大きな変化はなく、かなり昔の写真を見てもだいたい今のどの辺に

あたるのかが推測できる。観光地でもあることから、残された写真も多い。

 

堰神橋

 

高湯に入る道は橋を通って渓谷を渡る。積雪にも耐えるよう木製トラス式の頑丈そうな橋である。

 

 

 

  

ほぼ同じ位置から写した大湯前通り

 

建物は全て現在とは異なっているものの、道筋はあまり変わっていない様子である。

 

高見屋

 

現在は5つの宿を持つグループホテルとなった高見屋。平成20年度には県野球場の命名権も獲得し、更に知名度も上がった。

 

 

こちらは瀧見屋

 

  

人が鈴なりの山形館

 

若松屋

 

旅館はそれぞれ木造3階建てに揃えてあるようだ。

申し合わせでもあったのか、木造の限界だったのか。

 

 

近江屋

 

今でいう公衆浴場の上湯脇にある近江屋(読みは おおみや)は建物が更新され、館名が「おおみや旅館」

に変わったものの位置、規模は変わらぬ感じである。漢字では「おうみや」と呼ばれるためひらがな表記になったものか。

 

  

近江屋 内部

 

現在のサッシに囲まれた客室より爽快そうな開放的な窓。

その分冬は寒かったと思われるが暖房は火鉢程度しかなかったであろう。

 

 

バスが高湯に登るようになった頃

 

道の狭さは今も変わらない

 

高湯(蔵王温泉)は話題に事欠かず、昭和20年代には山形や上山から高湯に向けて

電鉄を走らせる構想が持ち上がったり、山形市小松原地区(現在のみはらしの丘)からは

索道(リフト)を蔵王に向けて敷くなどという話があった。事実、蔵王高速電鉄は会社も

設立された上、一部工事が着手され車両まで発注されていたようだ。冬の蔵王に電車が

どうやって登るのか非常に興味があるが、残念ながら登山区間は工事までには至らず

計画は中断した。他にも長野オリンピックの対抗候補地として開催地指定権を持つ審査員に

多額の接待をして誉められながら、実際投票時には0票だったなど逸話は様々存在する。

 

 

酢川神社

 

今も昔も温泉街の奥に鎮座する酢川神社。長い石段をあえいで登る。

 

 

狭く、入り組んだ温泉街の通りは情緒あふれるものであるが、ひとたび火災が起きれば

悲惨な事態になる。それでも根本的な区画整理は難しいため現在も昔のままである。

 

 

 

高湯(蔵王温泉) 俯瞰

 

 

 

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