古くから村山地方と最上地方を繋ぐ峠道として使われていた猿羽根峠。
鉄道が山の中に隧道を通してからも、道路はずっと延々と山道を登り、そして下っていた。
峠は信仰を集める地蔵尊、そして一休みするための茶屋がにぎわいを見せていた。
昭和36年、山裾をついに道路隧道が貫いた。猿羽根山トンネル。
このトンネルの開通により、事実上峠道の役割は終焉を迎えた。
昭和36年開通の猿羽根トンネル
地蔵尊への参道としてのみの存在となった峠道に新しい役割が加わったのは昭和48年。
猿羽根山遊園地の開園によりレジャーを楽しもうとする人々が峠道を上るようになった。
すでにマイカー時代は始まっており、一般家庭にも自家用車が行き渡ろうとしていた頃でも
あるため人々はドライブがてら曲がりくねった猿羽根山の峠道を辿ったのである。
猿羽根山遊園地の売り物は、山頂の展望台とミニミニ新幹線。遊園地空白区となっていた
北村山、最上の子ども達にとってはこれでも充分楽しいものであっただろう。
看板はあるが既に廃園
山頂に聳える展望台
六角形、高さ10mほどの展望台が中心施設だったようだ。
ゴーカートコースと動物
ベンチの向こうに遊具館
コイン遊具が並んでいた
遊具の程度は悪くなさそうに思えたが再利用の計画もなく、冬には豪雪に埋もれるため朽ちて行くのを待つだけということだろう。
展望台の周囲を線路が囲んでいる
桜の回廊を巡る
この車庫にミニミニ新幹線が収まっているはず
一時はこの新幹線が人気を集め、休日には子ども達が列を作って乗車の順番を
待っていた。自分で運転できるバッテリーカーもまた人気を集めた遊具。
展望台入口
かつての華やかさは消え、今となっては農家の納屋のような印象である。
内部にも遊具がある
ゴーカートコースを走っていた車両
猿羽根山はやがてトンネルで通過するだけの場所となっていった。
子ども達の行列も見られなくなり、昭和末期にはついに閉園を迎えた。
展望台だけはシンボルとして一般開放の形で残されている。
らせん階段を上り上部へ
展望台からの眺め
山の上に更に展望台があるわけなので絶景を望む、といいたいところだが
集客の決め手となるほどの絶景というわけではなかった。ただ、桜の最盛期や
山が紅葉に染まる頃には幸せな眺めを満喫できるであろう。
猿羽根山遊園地 昭和48年(1973)〜昭和63年(1988)頃